好きを少し理解する
- 九品
- 7月25日
- 読了時間: 9分

前回のブログで
好きとはなんだ?
好きなもんなんか
いっぱいある!
でもそれって
本当に好きだと言えるのか?
という
疑問を持ち
その答えにたどりつくことが
できなかった
という
話をしたのですが
自分の中で
その疑問に対する
1つの答えを持つことが
できました
好きを少し理解した話
こんにちは
結論からお話すると、
好きという感情は
一貫性のあるものではなく、
時や場合によって
変動するということに
気が付きました
変動する理由
変動する引き金となる
トリガーは
人によって
大きく異なりますが
人間はよく、
なにかを好きになったり
好きという感情を
失ったりしている
人間の
「好き」という感情は
多面性なんだと思います
よく動く
例えば自分の場合ですと
時々哲学モードに
入ることもあるけど
普段は見るもの
なんでもかんでも
好きになる
目の前のことを楽しんでいる、
キャラクター萌えの
おたくのおっさん
というのも
本心であり
本物であってますが
漫画を書く時は
そのことを一切
忘れる
ということが
あげられます
普段は
うちの子かわいいやろ~
みんなも見て見て!!!!
ほら!!!
見てこの会話
めっちゃ理不尽!!!!
ほんまかわいいやろ~!!!
みたいな
親ばかなのか
豚なのかわからない
ぶひぶひ言ってる
きもいおっさん全開なのに
漫画の話の構成とか
今回の話のテーマみたいなものを
考える時は
キャラクターに対して
ものすごく冷たい
そのキャラクターを好きとは
お世辞にも言えない感情で
書いています
壁を用意したり
どういじめようかとかといった
読者さんが
読みたいであろう展開を
イメージしてたり
それだけには留まらず、
時にはキャラクターが
死んでしまうような話を
考えたりするわけ
じゃないですか
まさしくサイコパス
さっきの好きは
どこに行ったんだ?
君は本当に
さっきの豚なの?
それに
大まかな構成を考えるとき
以外でも
詳細な内容を書く時、
流れる
映像を見るように書く
流れる映像を見ながら
それを忘れないように
セリフをメモしている
みたいな作りなので
自分の好き嫌いなんて
一切関わってこない
自分の感情が
挟み込む余地なんて
ない
もう少し
漫画とかを作らない人にも
わかりやすくいうと
流れとかを組んで
カードを切っているという
話なのですが
好きか嫌いかなんか
全く考えてない
おそらく
本当に流れとかを
汲み取ってるだけですね
人と話すときと同じ
突然人の話を
ぶったぎって
自分の話なんて
しないじゃないですかw
そういう
流れがあって、
自分の話をすることは
あったとしても
逆に
好き嫌いが
関わってくるのは
このあとの
チェック作業の時ですね
チェックするときに
そのできあがった漫画を
自分が読んで
「好き」と言えるかどうか
という好き嫌い
チェックが入っているので
他の人が
目にする頃には
その漫画を
自分は好きである
ということに
違いないですけど
順番が逆なので
好きなものを書いている
とは少し違いますよね
好きなものを見せているに
近いですよね
逆に
そのチェック作業で
自分が好きだと言えなかったら
ボツになりますw
時間がないとかだと
しょうがないと思うけど
ちゃんと練れる場合は
そうしてます
この過程だけでも
好きと好きじゃないを
行き来していることが
わかるかと思います
場合によっては
好きという感情を
自ら
廃することができる
そのことを
はじめから
やっていた自分は
物語を作るときに
好きとか嫌いとかを
考えたことがなく
「自分の漫画好きそう」
「自分のキャラ好きそう」
と他の人に言われた時
疑問を持った
好きとはなんだ?
wwww
自分で
かわいいから見てって
言うくせにww
面白いから見てって
言うくせにw
結論!!!!!!!!!
好きという感情は、
時と場合で
変動するゆえ
自分の好きを疑うなかれ
です!w
自分の
好きとか嫌いがなくなる時、
いわゆる
サイコパストリガーは
おそらくビジネス的な時とか、
その場が
真剣な話し合いの場であるという
空気感を感じた時、
あと哲学モードに
入った時とかもですねw
好きとかキライが
どっか遠くに
飛んでいくw
いってらっしゃーいw
でも自分はそうだけど
そのサイコパストリガーは
人によって違うと思っていて
嫌なことを
ひきづっている状態
つまり機嫌とか
失敗経験が少ない人なんかは
失敗して
プライドが傷ついた時とか
そういうときに
サイコパストリガーが
発動しやすいですよね
機嫌で怒るのが
当たり前という人からすると
信じられないかもしれないけど
自分には
機嫌とか
気分の浮き沈みって
存在しないんですよ
事件が起こったり、
事象に対して
怒ることはあっても
それは気分ではないですし
ネガティブなテーマの
哲学を考えているとき
わかりやすく
話しかけないでください
オーラを出しますが
それによって
人にあたるとかはないですw
人と話すときは
その人と関係ない
悩みごとを持っていても
その悩みは
いったんおいておいて
なんなら
面白半分に
一緒にそのことについて
考えないか
と持ち出すことが多いですw
こういうことを
考えてるんだけど
どう思います?ってw
思っていることを
包み隠さずそのまま
シンプルに話すw
その人に
変な心配をかけないように
考え事を共有しておく
ということですね
その人が
自分が悪いことを
したんじゃないか!?
みたいな
変な誤解が
うまれないように
それをすぐに察知して
誤解を解いておくことを目的に
自分の悩みを
相手にも聞くということ
ですねw
よくやりますw
逆に
機嫌が関係している人って
びっくりするくらい
小さなことで
怒ったりしますが
逆に
機嫌が良いときは
びっくりするくらい
失礼なことを言っても
ものすごい寛容さで
受け流したりとかしますよねw
かと思ったら
また
機嫌が悪いと、
そんな小さいことで怒るの!?
みたいなねw
面白いですねw
そういうのは
自分にはないですw
先ほど話した通り
全部そのまま言う
タイプなのでw
このことから
人によって
トリガーが
どこにあるのか
大きく違いがあることが
わかります
自分の場合は
事象ですねw
それはダメでしょってときに
それはダメでしょwって言うし
そのときの
自分は好きとかキライを
廃したサイコパスな状態であると
言えるでしょう
あと
遅刻とかもねw
人によっては
0.0001秒ですら許さん!とかw
-5分以上は遅刻だとかw
普段から約束を
守れないやつは
大事な約束も
守らない!
いや
極論ーーーーん!w
みたいなw
そんなことないよ
たぶんw
堅物サイコパス
人の心を失っていると
言えるでしょうw
でもそういう人が
いてくれるおかげで
誰かを待たせるのは
よくないんだなということが
理解できるわけで
他の人が時間を守って
仕事なりなんなりを
がんばっていたら
その人たちを
尊重したいという気持ちは
わかります
でも
そこまで言わなくて
よくない!?
人格否定までは
おかしくない!?
ありもしない
未来の出来事を
断定するのは
おかしくない!?
っていう
ことですねw
間違いなく
その方の状態は
サイコパス状態ですw
でも
グループの秩序を保つという意味で
ありがたい存在では
あるんですよねw
その人のためを思って?
いやいやいや
自分と他の人のためで
その人に対しての
優しさなんて
一欠片も
持ってないでしょ?w
一欠片でも持ってたら
なんで遅刻したんですか?
から
なぜ遅刻したのかという
言い訳を
聞くじゃないですかw
言い訳なんて聞きたくない
いやいや聞けよw
とりあえず
聞いてみて
自分の悪かった点をあげるタイプの
言い訳をするか
他人のせいにする言い訳をするのか
本当にしょうがなかったことを
言うのか
それから判断しようよw
そんな感じで
ですねw
引き金となるトリガーは
人によって違えど
人は一時的に
好きという感情を
なくすことがある
だけど
それは帰って来る
だから
一度好きだと思った
感情は
好きであっている
その好きが
一時的に
なくなったとしても
そのことを
疑う必要はない
なぜなら
一時的にその感情が
旅に出ているだけだからw
そいつはすぐに
戻って来るからw
という結論になりましたw
すぐに戻って来るという部分は
自分だけ
かもしれないですけどw
好きという感情が
戻ってきてほしい
と思っているのかも
しれませんけどね
何も好きになれない
自分というものが
ものすごく
嫌なんだと思います
それなら
なんでも
好きになりたいよねw
でもなんか
勘違いされそうですが
漫画を書くときは
職人になることは
あってますが
漫画は
最終的に
好きか嫌いかが
一番重要なポイントだと
思うんですよ
好きか嫌いかを
廃することが「美」
冷静であることを
「美」と考えると
絶対よくないですよw
客観的に書いて
主観的に好き嫌いで見る
逆か
データとか研究に
基づいて書くって
ある意味
主観なんだと思う
そういう主観で書いて
できあがったものを
好きか嫌いかという
これまた主観的に
判断するという方が
ある意味客観的
みたいな?
漫画づくりの方を
まとめると
好きか嫌いかは
考えずに書くけど
好きなものを
人に見せる
実際には
好きなものを
「見せてる」なんですが、
好きなものを「書いてそう」
という感想が持たれがち
かもしれませんね
でも
それでいいw
だって
そんなことは
どうだっていいんだからw
とか言ってるから
こいつは好きなものを書いている
何も考えてない
ただのバカだみたいに
思われるのかも
しれないですけどねw
にしても
副産物として
また面白いものを見つけましたね
自分の
好きなものを「書いてる」
わけじゃなくて、
自分の
好きなものを「見せてる」
が正しい
別のことも
もう一つ
考えたのですが
キリもいいので
今日はそんな感じに
したいと思いますw
えっと
このままだと
結論が
副産物の方に
なってしまいますねw
「好きとはなんだ?」という
疑問に対する
自分が出した解答は、
「疑問に思わなくても大丈夫」
ですね
好きは、
一時的にいなくなることもあるから
一度好きだと思った感情を
疑ったり
不安に思ったり
しなくても大丈夫
それは本心での
好きであっている
という感じですね
ぶっちゃけ
そっちの方は
どうでもよくなったんですがw
そっかー
自分は好きなものを書いてる
わけじゃなくて
好きなものを見せてるのかーw
そっちの方がうれしいw
すごくしっくりくる答えだw
ブログで
こういう哲学的な答えが
見つかるたびに
取り入れたいものが
増えるので
ちょっと困るんですけどねw
てことで
そんな感じでーw