世界クジラ③

「ま、待ってくれ!!」
ノストは思わず身を乗り出した。
手錠が、
がしゃりと鳴る。
何か言わなければ
自分が
クジラに食われてしまう。
「ほ、本にしなくても
おおおお、
俺が今から
冒険譚を話してやる!!」
「ダメよ?
そんなことで
許されると思って?」
セルシアは微笑んだまま、
口元以外は微動だにせず
そうこたえる。
「そ、そうだ!!」
「もしかしたら
島の男たちも
戻りたいのに
戻ってこれない
だけかもしれん!!」
「俺が世界へ飛び回って
その人たちを見つけ次第、
ここに連れてきても良い!!」
「鯨が空を飛んでいる
島なんて
そうそうないはずだ!!
聞けば
すぐに見分けはつく!!」
セルシアは
無言のまま愉快そうに
こちらを見ている
「それに
俺を生かして
俺を旅に出せば
ドンドン新しい旅の話を
聞くことができるぞ!!」
「定期的に戻ってくる
約束をすれば良い!!」
セルシアは
笑顔のまま
何も言わない。
「そ、そうだ!!
外で俺が見た
魔法の話をしよう」
「外にも
もちろん魔法はあった!」
ノストは周囲を見渡し、
10人ほどいる
セルシアの側近らしき
女性の中から
自分から
一番近い女性を指さした
「そこの人!!」
「!?」
突然
指をさされた女性が、
一瞬驚いたのち、
自分の胸元を指差し
キョトンとしている。
「あなたはどんな魔法が
お得意なんだ!?」
「!??」
女性は困ったように
セルシアを見る。
「答えて良いわよ?」
セルシアの口元が
少しだけ
柔らかくなったように
見える
「か、風の魔法を」
その瞬間。
ノストの顔が
ぱぁっと明るくなった。
「風!!!!
風なら
ちょうど良いのがある!!」
そして
ノストは語り始めた。
それは
旅の途中で出会った
「風の神」を名乗る男の話。
その男は、
ノストたちの行く先に
起こるはずだった大嵐を、
一つの壺に
封じ込めてくれたという。
旅の無事を願って
渡された壺だったが、
ノストがあまりにも
大事そうに抱えていたため、
仲間たちは
俺達に嘘をついて、
中に財宝でも
隠しているのではないかと
疑い始めた。
やがて
怪しんだ仲間と
壺の奪い合いになり、
嵐という
厄災を封じたはずの壺
そのものが、
一行にとっての
災厄になった。
それでも
何とか壺を守り抜いた
ノストだったが――。
その日の夜。
酔っ払って
酒と間違え、
自分でその壺の蓋を開けた。
壺から放たれた
暴風によって
吹き飛ばされたノストは、
一人空の彼方へ消え。
目を覚ますと、
旅を始めた場所まで
たった一人で
戻ってしまったという。
しばし。
玉座の間が
静まり返った。
そして。
「ふふっ」
誰かが噴き出した。

それをきっかけに、
整列していた
十人ほどの側近たちから、
くすくすと
笑い声が漏れ始める。
「な、な!?」
手を前に出して
固まっていた
ノストが
彼女たちを見渡す
「なああああ!??」
そのノストの姿も
おかしく、
側近たちは
口元を隠しながら
さらに笑っている。
「面白かっただろう!?」
「俺の話は
面白かっただろう!!??」
先ほどまで
死刑宣告を受けていた男とは
思えないほど、
ノストは得意げになった。
「も、もちろん
俺の旅の話は
これだけではないし
これからも
更新されていく予定だ!!」
「もちろん俺が再び旅に
出ることができたら…
だが…。」
セルシアを見る。
「だから
ここで俺を
本にしちまうのは
得策では
ないんじゃないかなぁ~~」
「……」
セルシアの笑顔は
刃物のような
笑顔ではなくなっていた。
そしてー。
「そうね」
先程までの威圧感はなく、
くすくすと笑うように
そう答えた
ノストの顔が
ぱぁっと明るくなる。
「でも
ますます
あなたを本にして
手元に残しておきたく
なってしまったわ」
「…………」
「とりあえず
判決が決まるまで
牢に入れておきましょう」
「そりゃそうだ」
そしてノストは
牢屋に入れられた。
「…………」

***

その日の夜。
ルカは、
一人で食事を用意していた。
簡素なスープとパン。
いつもと変わらない夕食。
椅子を引き。
一人で座り。
一人で食べる。
例の男の件で
きっと母の帰りは
遅くなるだろう
静かな部屋には、
食器の触れ合う
小さな音だけが響いていた。
ルカはスープを
口へ運びながら、
ふと思う。
父が海に出てから。
どれほどの月日が
流れたのだろう。
あれは、
まだ自分が
幼かった頃の話だ。
父は、
海の外の世界について
幼い私に
楽しそうに語ってくれた。
海の向こうには、
とてつもなく
大きな国がある。
見たこともない
生き物もいる。
ここよりも
さらに綺麗な場所がある
父はいつも、
そんな話をしていた。
そのたびに。
父の瞳は、
子どものように輝いていた。
ルカも同じだった。
父の話を
聞いているだけで、
見たこともない景色が
目の前に広がった。
そして。
そんな二人を。
母は、
いつも嬉しそうに見ていた。
楽しそうに。
優しく。
自分たちを
包み込むような笑顔で。
――けれど。
父が
本当に船へ乗る日。
私は泣いてしまった。
どうしてなのかは
分からなかった。
ただ。
父が船へ乗ってしまえば。
もう
二度と
会えないような気がした。
だから泣いた。
父にしがみつき。
行かないで、
と言った。
そんな私を見て
母は笑っていた。
今になって思う。
あの日の母の笑顔は。
それまで
自分たちを
見守っていたものとは、
まったく違っていた。
温かな毛布のような
笑顔ではなく
もっと硬い。
壊れそうなものを、
壊れないように
必死に
押さえつけているような。
一言で言うなら――。
「覚悟」
そんなものだったのかも
しれない。
笑っているのではない。
笑顔という仮面を
顔に貼りつけ。
剥がれてしまわないよう、
必死に耐えている。
そんな顔だった。
「……」
ルカは、
静かにスプーンを置いた。
母は強い。
いや。
きっと。
強くなければ
ならなかったのだ。
夫が帰らなくても。
島の男たちが
次々と海へ出ていっても。
残された
私たちや
子どもたちの前で。
泣くことなど
許されなかった。
なぜなら母は。
この島の女王。
そして。
誰よりも強い
魔法使い。
大魔法使い
魔女セルシアなのだから。

***
次の日。
ルカが
牢屋の近くを
通りかかったとき、
牢屋の方から
明るい笑い声が聞こえてきた。

足を止め、
声のする方を覗いてみる。
牢の前には、
昨日浜辺で漂流物を回収していた
エナたちの部隊が集まっていた。
鉄格子の向こうにはノスト。
どうやら、
旅の途中で
一つ目の巨人に捕まった時の
話をしているらしい。
はじめこそ
怪しい者として
捕まったものの、
酒を酌み交わしてみれば
意外にも話のわかる巨人で
その時の出来事について
話している。
「その巨人は、
目が1つだったから
話が通じるかわからなかったが
酒を飲ませたら
意外と話のわかるやつでな」
「俺たちは初めこそ
怪しいやつだと
捕まったものの
意気投合」
「だから俺たちの
名前を聞かれた時も
少しカッコつけて」
「俺たちは
まだ何もなせていない…
だから、俺たちのチームに
名なんてまだない」
「名前ってもんは、
何かを成したときに、
誰かが勝手につけてくれるもんだろう?」
「だから俺たちは、
まだ何者でもない」
「次に、お前と会うときには
名乗れる名前を持てるよう
努力するさ」
「……と、
言っておいて」
「奴が
酔いつぶれて
寝ているすきに
逃げ出そうと
したんだが」
「仲間の1人が
ヘマをしてな」
「突然足元に出てきた
ネズミに驚いて
手に持っていた
松明を手放した奴が
いたんだ」
「あ、ちなみに
捕まって
連れて行かれた先は
洞窟の中でな」
「そしてその松明が
寝ている巨人の服を
燃やしちまって」
「巨人は大絶叫」
「巨人の仲間たちが
駆けつけてきたんだが」
「俺たちが
“まだ何者でもない”と
言ったせいで」
「巨人が仲間たちに
何があったのかと
尋ねられた時、
巨人の仲間たちには
“何でもない”と
聞こえたみたいで」
「酔っ払った
巨人が自分で服を
燃やしたんだと
捉えられちまったな」
「それで
逃げ出すことができたんだ」
「しかし、
そいつの親父が
かの有名な
海の神ポセイドン
だったらしく」
「名前くらいは
聞いたことが
あると思うが」
「その海の神様に
目的地にたどりつかない
呪いをかけられ」
「それで俺たちの旅は
一向に
終わらない旅に
なったってわけさ」
「まぁ旅は、旅で
いろんなものを見れて
楽しくはあるんだがな」
「ったく…、
飲んだ時に
確認しときゃあ
よかったぜ…」
えーっ、と驚く者。
くすくすと笑う者。
ノストをはげます者。
反応はそれぞれだったが、
皆、
鉄格子が
そこにあることすら
忘れたように
ノストの話へ
耳を傾けていた。
そんな中。
エナが、笑顔のまま
何気なく言った。
「あなたが
お父様だったら
よかったのに」
その言葉のあと
みなが一同に少しずつ
静まり返った。
「ん?お前たち…
もしかして
親父さんがいないのか…?」
そして――。
今、
初めて察したかのように。
小さく尋ねた。
ノストは昨日、
セルシアから事情を
すでに聞いている
しかし
ノストは、今初めて
その事実に気がついたように、
少し驚いたふりをしてみせた。
おどけてみせた。
「どおりで
街を見た時、
男がやけに
少ないと思ったんだ!」
そして
彼女たちを元気づけようと、
沈みかけた空気を
吹き飛ばすように、
陽気に声を張り上げる。
「ちなみに俺も孤児なんだ!」
「親の顔なんて見たことがない!」
「え?」と、少しだけ。
少女たちの顔が上がった。
「だから
もちろん親父と
話したこともない!」
ノストは
いつものように笑う。
「安心しろ!」
「親父なんてもんが
いなくても
俺達は
立派に楽しく生きていける!」
そのあとノストは、
自分が旅へ出た理由を
少しだけ話してくれた。
孤児として育ち、
実の親の顔も知らないまま
それなりに
楽しく生きていたものの、
ある日ふと。
自分はどこから来たのだろう。
自分の親とは
どんな人間だったのだろう。
そんなことが気になった。
それが、
ノストの旅の始まりだったらしい。
けれど。
親を探すために
始めたはずの旅は、
知らない土地へ行き。
知らない人と出会い。
時には怪物から逃げ。
時には宝を見つけ。
そうしているうちに、
いつの間にか
旅をすることそのものが
目的になっていたという。
今となっては、
親を探しているのか。
世界を見て回っているだけなのか。
本人にも
よくわからないらしい。
それでもノストは、
そのことを
少しも寂しそうには話さなかった。
似たような境遇─。
失ったものについて
語っているはずなのに、
目の前の旅人は
その先に
見つけたものの方を
誇らしげに話している。
少女たちは
そんなノストの話を
目を輝かせながら
聞いていた。
この島の子どもたちは、
不安を
きっと言葉にしないまま
胸の奥へ
しまい込んでいたのだろう。
そんな彼女たちの前で、
父親の顔すら知らない大人が、
それでもこんなにも楽しそうに
世界を歩いている。
ノストの話が、
彼女たちの中にあった不安を
どれほど軽くしたのだろう。
それは
ルカも同じだった。
昨日までは、
外から来た危険な旅人
だった男が
牢を挟んで、
少女たちと笑っている。
そして
父をなくした少女たちを
一生懸命、勇気づけていた。
彼ができる
精一杯の冒険譚を
不器用ながらも
おもしろおかしく語りながら。

***

その日の夜。
ルカは、
母セルシアと
向かい合って
食事をしていた。
広い食卓に並ぶ料理は、
いつもと変わらない。
けれど、
昼間に聞いた
ノストの話が
まだ
頭のどこかに残っていた。
知らない土地。
知らない人々。
自分の知らない世界。
そんな景色が、
食卓の向こう側にまで
薄く透けて見えるようだった。
ぼーっと
考え事をしているルカに
セルシアが
何気ない口調で
口を開く。
「あなた今日、
あの男が収容されている
牢屋にいたそうね」
「…っ
……はい。」
セルシアは、ルカと目を
合わせずに淡々と食事を
取りつつ話を聞いている。
「お話は面白かった?」
「……はい。」
少しだけ間があった。
少しだけ言葉に
トゲを感じたからだ。
「それはよかった……」
セルシアは
いつもと
変わらない笑顔で
食事を続けている。
「お母様も
彼の話を聞きましたか?」
セルシアは
食事の手を止め、
少し空を見た。
「ええ、
まだ一つしか
聞いていないけれど
面白かったわ」
話の流れとして自然と
尋ねてみただけなのだが
自身の母親が
面白いと言うとは
思わなかった
「お母様はどんな話を?」
あの旅人は、
どんな話をしたのだろう?
「たしか、
風の神のお話
だったかしら……」
「なるほど…
たくさん
あるんですね……」
その言葉が、
思っていたよりも素直に口から出た。
ノストはいったい
どれだけの場所へ行ったのだろう。
どれだけの景色を見たのだろう。
セルシアは
そんなルカを
しばらく見つめていた。
「ところで」
「あなた、ルカは
旅人の話を聞いて、
どう思ったのかしら?」
ルカの手が止まる。
「彼の処遇が
まだ決まらなくて
困っているの」
「このまま海の外へ
送り返してしまっては」
「それについていきたいという子も
出てきてしまうでしょうし」
ルカは先ほど見た
牢屋の前に
エナたちが集まっていたことを
思い出す。
「そうですね……」
「はじめに
彼と出会ってしまった
エナたちを中心に」
「彼に懐いているものが
出てきてしまってますから……」
セルシアは
少し考えた。
「困ったわね」
「……」
会話が途切れる。
食卓の上には、
小さく食器の音だけが響いた。
そして。
「ところでルカ」
セルシアが
また笑顔で尋ねる。
「あなたはどうなの?」
突然自分の話を聞かれ
少しどきっとする。
「……」
「どうとは?」
「もしそうなったとき」
「あなたは、
ここにいてくれる?」
「はい、
もちろんです」
すぐに答えた
それに
セルシアは
安心したように微笑んだ。
「そう……」
その母の態度と言葉に
少し安心をした
「……。」
だけど
私は嘘をついた。
本当は。
私も海の外へ行ってみたい。
ノストの話を聞いたから、
そう思ったわけではない。
もっと前から。
ずっと以前から――。
私は。
海の向こうにある世界を
見てみたかった。
