カップ焼きそば
- 九品
- 10月24日
- 読了時間: 3分

カップ焼きそばを
作るのが苦手で
カップに
お湯を注いだあと
よくほったらかしにして
麺を
ばいんばいんにします
こんにちはー
ちまたでは
ポケモンが流行っているらしいですが
switch2をまだ持ってません
でも持ってたら
絶対やってたので
持ってなくてよかったですね
今日、
スマートリングを久しぶりに
付けてみたら
ストレスを解消するために、
自分の好きなことを
する時間を作ってみては
いかがでしょうか。
なんて書かれてましたが
好きなことは
やってますw
ただ
人間関係に
げっそりしているだけですw
でも
なんでこんなに
編集さんとのやり取りが
上手くいかないんだろうと
少し前に考えて
ひとつ答えを
持ったんですよね
自分たち
ものを作ってる人って
ものを作ってる限り
誰かしらが
褒めてくれるじゃないですか
漫画とかイラストを
ネット上のどこかしらに
投稿して
褒めてもらえなかったことって
たぶん一度もないんですよね
誰かしらは
褒めてくれる
大学のときでも
何か作れば
講師の先生が
面白がってくれたりとかね
つまり
もの作る人って
とりあえず何か作っておけば
それが
自分の存在意義になるんですよ
でも編集さんって
だれに褒められる?
だれに認められる?
自分たちからすると
編集者という職業を
やっている時点で
存在意義があるように
感じてるんですけど
実は
編集さん自身は
編集者という職業に
なったからといって
自分で自分の存在意義を
見つけられてない人が
多いんじゃないかと
ほとんどの
特に新人の編集者さんは
編集者になったは良いけど
自分は何をしたらいいのか?
ちゃんと自分は
役に立てているのだろうか?
という
自身の存在について
疑問を持っている人が
多いのではないかと
自分から見ると
編集者というだけで
その人には
存在価値があるように見える
でも
編集さん
その人自身は
自分の存在価値を疑っている人
である
このズレが
コミュニケーションに
大きな歪みを
生んでいるのではないだろうか
つまり
編集さんは
アドバイスをすることでしか
存在を証明できないと
思っている人たちで
編集さんが放つアドバイスを
漫画家が否定することとは
その人の存在
そのものを否定してしまう
行為
そういう風に
受け取られて
しまっているのでは
ないだろうか
自分は
その人の意見を
否定しようと
肯定しようと自由
壁うち相手に
なってもらえれば
それだけで
彼は仕事をまっとう
してくれている
そう思ったけど
それは
相手に存在価値がある前提で
やっている行為だ
否定しても
そんなに傷つかないだろうという
相手への信用ですね
だから
間違ってると思ったら
何の気遣いもなく
否定してしまう
シンプルに意見を精査して
良いものは良い
微妙なものは微妙だと
フィードバックしてしまう
でも
そのアドバイスを
否定する行為って
編集さんにとっては
その人の存在意義を否定するという
行為に受け取られ
自分が思っている以上に
ものすごーーーーく
傷つく行為なのではないか!?w
ということに
気が付きましたw
そりゃうまく
コミュニケーション
取れないわ!!w
だから
漫画家は編集さんが
良い意見を言ったとき
いっぱい褒めないと
いけないですね!w
漫画家は
もの作っとけば
だれかしらには褒められるw
自分の存在が証明できる
でも
編集さんを
褒めるのは
存在意義を証明できるのは
自分たち漫画家だけなんだ
そういうお話でした
まぁ
ダメなものはダメって言わないと
モンスターが誕生してしまうから
それもできないんだけどw
良い意見を言った時は
「良い!!!!」と
ちゃんとはっきりと
言わないとですねw
自分は人を褒める時は
何の照れもなく
言うタイプなんで
たぶんそっちは
良いと思うのですが
否定するときは
もうちょっと
気を使わないと
いけないかもしれないwww
そこまで
考えてなかったw
てことで
そんな感じです!w